音のない場面に音を書く——BL小説と擬態語の仕事
視線、沈黙、ためらい。音が鳴っていない瞬間を音の形で書けることが、関係を描く文章の土台になります。
オノマトペというと物音の写しを思い浮かべますが、日本語でむしろ層が厚いのは、音のしない事柄のための語群です。じっと、そっと、こっそり、ちらり。視線にも、ためらいにも、部屋に残る気配にも、それ専用の語が用意されています。音を立てない出来事を、音の形をした言葉で書ける——擬態語と呼ばれるこの仕組みは、日本語の書き手が息をするように使っているぶん、その特殊さも便利さも、かえって意識にのぼりにくいもののように思います。
BL小説にとって、これは道具箱の隅の話ではありません。このジャンルで関係が動く瞬間の多くは、音のない瞬間だからです。目が合って逸らされる、伸ばしかけた手が途中で止まる、返事の代わりに沈黙が続く——そうした台詞にならない信号を書き分けるとき、「おずおずと」と「こわごわと」の距離、「ちらりと」と「じっと」の距離が、そのまま感情の解像度になります。近い語のどれを選ぶかという小さな判断が、ふたりの間合いの描写そのものになるのです。
沈黙にさえ語があります。「しん、と部屋が静まった」の「しん」は、鳴っている音ではなく、音のなさそのものに与えられた形です。「ひっそり」なら人気のなさに、「がらん」なら空間の広さに寄る、というように、静けさの側にも書き分けの語彙があります。会話が途切れたあとの数秒間をどの静けさで書くかという選択は、その沈黙が気まずいものなのか、それとも満ちて温かいものなのかを、説明の言葉をひとつも使わずに読者へ手渡す作業になります。
ただし、この語彙には出自の問題がついてまわります。マンガの書き文字です。マンガではオノマトペが絵の一部として画面に置かれ、その文化はBLの読者にも書き手にも深く共有されています。けれど小説で同じ語をカタカナのまま裸で置くと、地の文の呼吸がそこで途切れて、マンガの一コマを引用したような手触りになりがちです。小説の擬態語には、地の文に溶かすというもう一手間が要ります。借りてきた語ではなく、自分の文の一部にする手間です。
溶かし方は表記の細部にあります。「ちらりと見た」と流すか、「ちらり、と見た」と読点で一拍置くか。ひらがなで地の文に沈めるか、カタカナで一語だけ立たせるかも、同じ水準の選択です。副詞として動詞に添わせれば目立たず速く、読点で切り離せば、その一瞬だけがゆっくり流れます。同じ語でも、接続と表記で温度が変わる。関係の機微を追う文章では、この一拍があるかないかが、視線が留まった長さ、ためらいの長さそのものとして読まれることになります。
だから、擬態語の仕事は語を選んだところで終わりません。マンガの画面でなら、書き文字は絵の隣に立つだけで役目を果たせます。小説の頁で同じ語を働かせるのは、ひらがなに沈めるかカタカナで立たせるか、動詞に添わせるか読点で切り離すかという、表記と接続の側です。「ちらり」という語そのものは誰のものでもない共有財産ですが、「ちらり、と」の一拍は、自分の文の呼吸に属します。借りてきた語が地の文に溶けきったとき、読者はそこに擬態語があったことさえ覚えていません。ただ、視線が一瞬だけ長く留まったことを、覚えているのです。